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reading between the line

雑記です。日常のこと、読書、子育て、考えたこと。

3月24日 忖度する

「忖度(そんたく)」という言葉を最近よく耳にするようになった。私としてはここ数年のうちによく使われるようになったという印象だが、以前から使われていた言葉なのかは知らない。

忖度とは、「他人の気持ちをおしはかる」という意味だそうだ。

最近取りざたされている「森友学園」に関する報道において、よく使われているようで、外国人記者は翻訳するのに苦労しているそうだ。日本人でも聞きなれない言葉であるが、彼らが「忖度」を訳すと、「reading between the line」(行間を読み取る)だそうだ。実に上手い翻訳だ。 「他人の気持ちをおしはかる」=「行間を読み取る」は成り立つだろう。

「忖度」というのは、つまり「空気を読む」ということだ。私のイメージではこれは日本人の特性を表す表現で、論理的ではないという印象を与える。外国人記者たちが翻訳に苦労するのも理解できる。特に近年、ビジネスの場において「空気を読め」などと発言することは、当人には負のイメージを与えるだろう。ただビジネスにおいて、あるいは社会生活一般において「空気を読む」ことがいまだ必要であることも、またまぎれもない事実だ。「空気を読む」ということは、言い換えれば「先を読むこと」だろう。人より一歩先に手を打たないことには、生き残れない。つまり必要なことは使い分けることだろう。コミュニケーションにおいて、相手の言葉の裏に何が隠されているのか、相手が何を求めているのか、を知るためには「忖度」が必要だ。他方、自分が相手に何かを伝えようとするときには、徹底して「忖度しない」ことがことが必要だ。相手が「空気を読んでくれるだろう」と期待することによって、こちらの説明が曖昧になり、意図が伝わりにくくなるおそれがあるためだ。

しかしこの「忖度」という言葉が、最近よく使われるというのは若干違和感がある。時代に逆行しているような気がするのだ。グローバル化が進み、世界中の人々と関わり合わなければならない現代に、あまりにも日本的な「空気を読め」が通用するのか、非常に疑問だ。私はこの「忖度」という言葉が使われる背景に、現代の息苦しさ、本音を言わない社会が反映されているのではないかと思うのだ。思っていても口には出来ない、そういったことが近年増えている気がする。TVを見ていても、芸能人やコメンテーターが本音を言っていないのではと感じることは多い。それは「表現の自由」という重大な問題でもある。

とはいえ、先ほども述べたが、一概に「忖度」がいけないというものでもない。人間は言葉にされていない事柄からも何かを感じることができる。声に出来ない苦しみを持つ人もいるだろう。目に見えないものからも喜びを感じることがあるかもしれない。おそらく、「論理的な言葉」と「空気をよむ」、その間を「忖度」(reading between the line)することが必要なのではないだろうか。